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耕知塾コラム

  • 耕知塾
  • 2021.03.26

     皆さん、耕知塾の小池です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。

    【小さな哲学者の格言ノート No.6】
     「さきへ進めば進むほど道がひらけてくるなんてのは、神さまかわずかなたぐい稀な天才のほかにはありませんな。」
          ―ディドロ『ラモーの甥』岩波文庫、74ページ

     おそらく国語ほど、現状の力を把握しづらい教科はないと思います。上記の格言を、国語に絡めて言えば、「国語は、読めば読むほど力がついたという実感の得難い教科である」となるでしょう。

     では、なぜいくら読んでも、力がついた感じがしないのでしょうか。

     「読む」という言葉を辞書(『旺文社 小学国語新辞典』(第4版))で調べてみると、

     ①目で見た文字を声に出す。音読する。
     ②書いてあるものの内容や意味を理解する。
     ③おしはかる。見て判断する。
     ④数える。

    とあります。
     通常、国語で「読む」という場合、②の「書いてあるものの内容や意味を理解する」という意味で、「読む」という言葉を使っています。ところが、実際には、①の意味に近い、「目で見た文字を「頭の中で」声に出す(黙読している)」状態を、「読む」ことだと思っている人が多いようです。つまり、「書いてあるものの内容や意味を理解」していなくても、「目で見た文字を「頭の中で」声に出」しているだけで、「読んだ」ことになっているのです。

     さて、ここで、国語に関する、よくある誤解を2点見ておきましょう。
     第1に、「日本語ができれば、国語ができる(文章が読める)」という誤解です。
     試しに、都立高入試(2020年)の大問4(論説文)に出てくる言葉(のほんの一部)を見てみましょう。
     「損耗する」、「創出する」、「対峙する」、「営為」、「抑制」、「構成要素」、「一義的」、「鳥瞰的」、「可変性」、「相補性」…もし「日本語ができれば、国語ができる(文章が読める)」が正しければ、これらの言葉の意味もちゃんと理解できるはずですね。
     しかし、実は、ここに大きな落とし穴があります。
     というのも、「日本語ができれば…」と言う時の「日本語」とは、「日常会話」で使う言葉(話し言葉)であって、国語の「語彙」(「書き言葉」)とは別のレベルにあります。例えば、「話し言葉」は流暢なのに、文章を書かせると「幼稚な文章しか書けない」のは、まさに「話し言葉」と「書き言葉」は別のレベルにあるからです。
     実際、「書き言葉」は、大きな書店の受験参考書売り場に行くと、「語彙力」の問題集が売っているほど、「書き言葉」はちゃんと勉強しなければならないものなのです。
     第2に、「日本語ができれば…」と考える人は、日本語で「感覚的に」(何となく、わかるところだけ)読んでいるため、「断片的な」理解しかできません。ですが、確かに「目で見た文字を「頭の中で」声に出す(黙読している)」ことをしているので、「感覚的」には「読んだ」と感じてしまうわけです。
     こうした読み方は「AI読み」と呼ばれていて、近年教育関係者の間で、その問題が指摘されています。
     例えば、手元のスマートフォンの音声認識機能を使って、「近くの和食の店を教えて」と入力してみてください。すると画面には、和食の店のリストが出てくると思います。では今度は、「近くの和食以外の店を教えて」を入力してみてください。すると、おそらく、先ほどと同じような和食の店のリストが出てくるはずです。つまり、AIには「近くの和食の店」という言葉の意味を理解することができましたが、「~以外の」の意味を理解することはできなかった(文を「断片的」にしか理解できなかった)ということです。
     興味深い研究があります。国立情報学研究所の新井紀子教授が、全国4万人を対象にリーディングスキルテスト(略称RST)(=読解能力のテスト)を行いました。その結果、特に指示代名詞(こそあど言葉)が何を指すかなどの分野では、その正答率が3割以下という衝撃の結果が明らかになりました。そのほか、RSTの成績上位者は、偏差値の高い高校や大学への進学していること(=読む力と学力には相関関係があること)、RSTの成績下位者は、いくら知識を覚えても、それを「断片的」にしか使えない(=体系的に物事を考えることができない)などが明らかになりました(詳しくは、新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』東洋経済新報社をご参照ください)。
     この新井教授の研究によって、「日本語ができれば、国語ができる(文章が読める)」と考えてしまうと、文章を「読む」時、AIのように「断片的」な理解しかできなくなってしまうだけでなく、学力にも深刻な影響を与えていることが科学的に証明されたというわけです。

     では、この問題をどのように考えていけば(解決していけば)良いのでしょうか―。

     大変申しわけありませんが、またまた字数が2000字を超えてしまったので、このテーマは次回に続きます。

    ※ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot)は、18世紀のフランスの哲学者、作家。いわゆる百科全書派の中心人物として知られる

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