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耕知塾コラム

  • 耕知塾
  • 2024.10.26

    皆さん、耕知塾の大澤です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。

    国語の授業では、扱う文章を毎回テキストからランダムに選んでいるのですが、どうしてもこれは今やりたくないな、という文章があります。やりたくない理由が内容にかかわっている場合もあれば、理由は分からないがやりたくないというものもあります。
    3年生のテキストにある鷹匠の話を扱った文学的文章がそうでした。春からずっと目には入っていたのに、私はなぜかやりたくないと避けていたのです。
    でもその日なぜかその文章と「目が合った」のです。「今日はこれだな」と思いすんなりその文章を授業で扱いました。
    そこには、鷹の訓練がうまく行かず悩む主人公に、先輩の鷹匠が「自然の声を聞き、動物の本能を尊重する覚悟を持つこと」の大切さを伝える場面が描かれていました。
    そしてその場面で描かれていることは、毎日授業と格闘する今の私にぴったりくるメッセージでした。

    結局その文章は、子どもの国語力を上げる、子どものための文章ではなく、その日子どもたちの前に立つ私のための文章だったのです。
    こう書くと、「なんだ、そんなの講師の趣味じゃないか。講師の趣味に付き合わされる子供が気の毒だ」と思われるかもしれませんが、そうではないのです。
    たしかに「それはあなたの趣味では?」と言いたくなるような良くない授業もあるのですが、子どものためだけを考えて、すべて子供に合わせ、自分がそこにいなかったら元も子もないのです。
    同じ空間の中に死んだものが一つでもある。そのことがその空間に全く影響を与えずにいることができるでしょうか。自分がその空間で死んでいたら、何よりそのことがその空間を殺すのだと私は思います。

    また別の機会にこんなことがありました。
    近くの美容室に初めて行った際、美容師の方が、「変に思われるかもしれませんが」と前置きしてから、こうおっしゃいました。「髪を切る時、自分ではこの辺でやめとこうと思うんだけど、髪が切ってくれと言ってくるから、切っちゃうときがあるんです」と。

    自分の都合だけでなく、相手の人間や、動物や時には物や、場が求めてくるものがあります。授業でも、それを感じます。
    10人ほどの子どもたちのそれぞれの都合をすべて聞くわけには当然行かないのですが、いつもその場には、自分を含めその場のすべてを生かす、うまく行く「流れ」のようなものがあります。その流れにうまく乗ると、驚くほど力を使わずに授業を進めることができますし、その流れを全く見つけられない時は疲弊して授業が終わることになります。

    授業に臨むにあたって、教科の準備をするのはもちろんなのですが、人としてすべきこと、自分自身のフィールドで片を付けるべきことを片付けていないと、相手の声を聞くことができません。なぜなら、相手以前に自分を尊重していないからです。

    日々自分を整えることは簡単なことではありませんが、取り組む価値のあることです。そして日常の中に自分も周りも楽に息ができる流れを見つけられたら、それはかなり幸せなことなのではないでしょうか。

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