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2023.10.27
皆さん、耕知塾の小池です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。
【小さな哲学者の格言ノート No18】
「The limits of my language mean the limits of my world.(私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。)」―ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
授業を受けるだけで学力が上がる子と、そうでない子がいます。
その差は、一体どこにあるのでしょうか?
授業を受けるだけで学力が上がる子は、授業内容を自分の言葉で言語化する思考の習慣を身につけています。
一方、授業を受けても学力が上がらない子は、授業をぼーっと聞いているだけだったり、板書をノートに写しているだけだったりで、基本的に授業内容(先生の言葉)をなぞっているだけです。
例えば、中学英語の授業の場合―
授業を受けるだけで学力が上がる子は、先生が板書で例題を説明している間に、文法(単元内容)を理解し、文型(解法手順)を覚えようとします。そして、演習の時に、単語や時制が変わっているところに着目しながら、文型(解法手順)を自分のものにしていきます。
授業を受けても学力が上がらない子は、板書の例題を写しているだけ、つまり先生が解いているのを写しているだけになります。
こうした子たちの授業の受け方の特徴として、単元内容を理解することや解法手順を覚えることよりも先に、(理解することや覚えることが面倒なので)「(先生の出した)答え」だけに着目しようとします。少し時間が経つと、習ったはずの単元ができなくなったり、授業の時に類題(基本問題)は解けたのに、応用問題になると途端にまったく手が出なくなったりする場合は、まずこうした授業の受け方をしていないかを疑うべきです。
授業を受けても学力が上がらない子たちは自分の言葉で言語化して授業を受けるのは面倒、言い換えれば、自分の頭で考えるのは面倒だと考えているわけですが、実は本人にその自覚はありません。というのも、彼らは、今日まで授業とはそうやって受けるものだと思ってやってきたからです。
もし授業を受けるだけで学力を上げたいと思うなら、まずは自分の頭で考えるのは面倒をいう思考の習慣と決別しなければなりません。
*ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)は、オーストリアの言語哲学、分析哲学者。イギリスの大学の最高峰ケンブリッジ大学教授などを歴任した。