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  • 耕知塾
  • 2021.06.26

     皆さん、耕知塾の小池です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。

     

    【小さな哲学者の格言ノート No.7】
     「書物はそれが書かれたとおなじくじっくりと慎みぶかく読まれなければならない。」
          ―ソーロー『森の生活』岩波文庫、137ページ

     

     前回の続きです。

     前回は、「なぜいくら勉強しても、国語ができるようにならないのか?」について書きました。

     「日本語ができれば、国語ができる(文章が読める)」と考える、あるいは「感覚的に」(何となく、わかるところだけ)読むことで、AIのように「断片的」な理解しかできなくなってしまうだけでなく、学力にも深刻な影響を与えてしまうことが国立情報学研究所の新井紀子教授の研究によって科学的に証明された、ということをご紹介しました。

     

     今回は、前回内容を踏まえて「では、ちゃんと文章を読むためにはどうすれば良いか?」について書こうと思います。

     

     結論から言ってしまえば、ちゃんと文章を読めたという状態にするためには、頭の中で理解できている「断片」を「関係」づけて、「文脈」を理解していかなければなりません。

     

     次の4つの例文を見てみましょう。

     

    例文(1)「Aは、真っ白な顔をしてこちらへやってきた。」
     さて、この文の「真っ白な顔」とは、どのような状態だと思いますか?
     実は(想像性を問うような特殊な入試を除いて)通常の入試では、このような問題が出ることはまずありません。なぜなら、この文には「前後」に文がない(つまり「文脈」がない)からです。

     

    例文(2)「昨日、Aは腐ったパンを食べた。次の日、Aは、真っ白な顔をしてこちらへやってきた。」
     この場合の「真っ白な顔」とは、腐ったパンを食べて、「具合が悪そうだ」という意味にとれそうですね。

     

    例文(3)「Aは、さっき血まみれの人を見た。そして、Aは、真っ白な顔をしてこちらへやってきた。」
     今度の「真っ白な顔」とは、血まみれの人を見て、「驚いた」とか「怖くなった」とかという意味にとれそうですね。

     

    例文(4)「Aは歌舞伎役者である。舞台にあがるため、Aは、真っ白な顔をしてこちらへやってきた。」
     この「真っ白な顔」とは、歌舞伎役者のAが「化粧をしていた」という意味になりそうですね。

     

     「文脈」によって、「真っ白な顔」という言葉の意味がまったく変わってしまいましたね。
     いわゆるAI読みというのは、「Aは、真っ白な顔をしてこちらへやってきた。」という文と、前の文が「断片」化され、「関係」づけられていないので、「真っ白な顔」が「どんな顔なのか」を理解できない状態を言うのです。

     

     「文章」というのは、文と文とのつながり(それを「文脈」と言います)からできています。ですから、文と文(言葉と言葉)の意味を「関係」づけて、「文脈」を理解してはじめて、ちゃんと読めたという状態になるわけです。

     

     ところが、文と文(言葉と言葉)の意味を「関係」づけて、「文脈」を理解して、ちゃんと文章が読めたとしても、残念ながら、それがそのまま「国語ができるようになる(国語の点数が伸びる)」ことに結びつくわけではありません。

     

     例えば、国語の読解問題で、「本文はちゃんと読めた」のに「正解できなかった」、そんな時に、学校や塾の先生から「もっと本文を読め!」と言われたことはありませんか?
     確かに、答えは本文に書いてあるはずです。
     ここで、普通は「本文はちゃんと読めたのに、なぜ正解できなかったのか?」と考える人が多いと思います。
     ですが、実はこの考え方は間違っています。

     

     この場合、「本文はちゃんと読めたのに、なぜそれが答えだとわからなかったのか?」と考えるべきなのです。

     

     設問の中には「問い」があって、「それと結びつく答え」も必ず本文の中にあります。それでも、「本文はちゃんと読めた」のに「正解できなかった」場合、起こっていることは次の2つです。

     

    設問の中の「問い」の「断片」しか見えていない。

    「問い」と「それと結びつく答え」との「関係」がつながっていない。

     

     この①か②が起こっている場合は、「本文はちゃんと読めた」としても、正解にたどり着くことはありません。
     逆に、「問い」の内容を理解し、「問い」と「それと結びつく答え」との「関係」がつながっていれば、必ず正解にたどり着くことができるというわけです。

     

     以下は、都立高入試(2019年度)の「大問3(小説)」です。

     「問い」と「それと結びつく答え」との「関係」がつながりやすい問題なので、試してみてください(ちなみに正答率は9割)。

     
     

     長女がそういったが、馬淵は以前から、その母の言葉は怪しいものだと思っている。事実、母は白木蓮が好きだったらしいが、それが一番好きになったのは、この花が咲きはじめれば遠からず郷里へ帰れるという歓びが加味されてのことだったろう、というのが馬淵の推測である。

     「でも、お祖母ちゃん、とうとう名前が憶えられなかったね。」と次女が笑っていった。

     「白木蓮の?」

     「そう。」

    (2)「……そうでした、お父さん?」と長女が首をかしげながら馬淵に訊いた。

     「多分、志穂のいう通りだったろうな。」と馬淵は答えた。「お祖母ちゃんは、花が好きなくせに、花の名前を憶えるのが苦手だった。いくら教えても、すぐ忘れるんだ。それで、勝手に自分の好きな名前で呼んでた。」

     


    問題

    (2)「……そうでした、お父さん?」と長女が首をかしげながら馬淵に訊いた。とあるが、「長女が首をかしげながら馬淵に訊いた」わけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

     

     白木蓮の名前を最後まで憶えることができなかった祖母を笑って話す妹の姿が腹立たしく、父にたしなめてもらおうと考えたから。

     

     祖母は白木蓮が好きだったのに名前を憶えることができなかったという妹の話を信じられず、父に事実を確かめようと考えたから。

     

     白木蓮の名前を祖母はそもそも憶えるつもりがなかったという妹の指摘に疑問を覚え、父に本当のことを話してもらおうと考えたから。

     

     祖母の思い出が曖昧になっている妹をかわいそうに思い、実は祖母が花の名前を憶えていたことを父から説明させようと考えたから。

     
     
     

    答えは「イ」です。

     
     

    ※ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)は19世紀前半のアメリカの作家、博物学者。

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