-
-
2021.01.30
皆さん、耕知塾の小池です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。
【小さな哲学者の格言ノート No.5】
「だれしも他人から学ぶ場合には、自分みずから発明する場合ほどに、何事にせよそれほど十分によく考えることも、それを自分のものとすることもできない。」
―デカルト『方法序説 』岩波文庫、83~84ページ
前回のつづきです。
先日、「大学入学共通テスト」が行われました。
すでに問題をご覧になった方も多いかと思いますが、全体的に「情報処理能力」ではなく「情報活用能力」(複数の資料を読み取り、その情報を活用して設問に答える力)が問われる問題によって構成されていました。数年後には、こうした問題に加え、「情報表現能力」が問われる「記述式」の問題が追加されることになっています。
今、こうした変化が起きている理由の一つが、「グローバル化」と日本の教育の「ガラパゴス化」でした(ご興味のある方は前回のコラムをご参照ください)。
そして、今回のご紹介するのが、理由の二つ目です。
それは「AI(人工知能)化」です。
今から8年ほど前(2013年)の話です。
世界大学ランキングでもトップクラスの英国オックスフォード大学(University of Oxford)のマイケル・オズボーン(Michael A.Osborne)教授が『雇用の未来』(《THE FUTURE OF EMPLOYMENT》)という論文を発表して、大変話題になりました。
オズボーン教授によれば、「およそ10~20年後には、今人間が行っている約半数の仕事がAIに奪われてしまう」、例えば、スーパーのレジ係や銀行、ホテルの窓口業務などの職業のうち、約47%の仕事が(高い確率で)自動化されるという予測を立てたのです。
要するに、昔、駅員が切符を切っていた光景が今は自動改札機にとって代わられたように、これから「AI化」が進めば進むほど、人ではなく、機械にとって代わられる仕事が増えてくるということです。
なぜなら、人間は、「情報処理能力」では機械(AI)に敵わないからです。
こうした「AI化」時代を生きるために必要な能力の一つとして、OECD(経済協力開発機構)は「新しい価値を創造する力」を挙げています。つまり、世界を変えるような発想力をつける必要があるということです。
「そんな力、以前から日本にもあったのでは?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。しかし、残念ながら、世界から見て、「情報処理能力」を重視してきた日本の教育では、こうした力を育てることがほとんどできていません。
私が某国立大学の大学院生だった頃の話です。
約半年間ほど、米国の理工系大学の最高峰マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology(通称:MIT))の大学院生たちとの共同研究に参加した経験があります。彼らは、毎日大量の論文を読んで、ゼミの時に「自分のアイディア」を発表して活発に議論をしていました。
ある日、私が発表する番になったので、日本の大学では一般的な手順で「自分のアイディア」を発表しました。ところが、MITの学生たちは困惑した表情を浮かべて、「いやいや、そうではなくて、私たちは「あなたのアイディア」を聞きたいんです」と言い始めたのです。
その時、私は一体何を言われているのかを、まったく理解できませんでした。その後、私が発表する度に、「あなたのアイディアは○○先生が言っていることと同じですね」とか「それは△△先生の考えと似ていますね」といった指摘を受け続けました。
というのも、彼らのいう「自分のアイディア」とは「世界や歴史を変えるような、まったく新しい発想」のことで、私が「自分のアイディア」と思っていたものは、MITの学生たちから見れば、「誰かのアイディア」のバリエーション(より端的に言えば、「パクリ」)に過ぎなかったのです。
私が「自分のアイディア」を勘違いしていたように、「情報処理能力」を重視してきた日本の教育の中で、私たちは確かに自分の頭で「誰かのアイディア」について考えてきました。ですが、それは(自分の頭で考えた)「自分のアイディア」ではありません。
今、そんな日本の教育も「グローバル化」と「AI化」の時代に適応するために、自分の頭で「自分のアイディア」を考える(発想する)ことのできる人間(さらに世界という舞台で、きちんとそれを発信できる人間)を育てる教育へとシフトしているというわけです。
※ルネ・デカルト(Ren Descartes)17世紀フランスの哲学者。数学者。「大陸合理論の祖」、あるいは「近代哲学の父」と言われている。