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  • 耕知塾
  • 2022.04.20

     皆さん、耕知塾の小池です。耕知塾は金町、日暮里にある地域密着の、そして少人数責任指導の集団塾です。

     

    【小さな哲学者の格言ノート No.10】

    「いかに感情を起こす作物でもこれに対して感情を起こさなくてはならんという訳はない」

     ―夏目漱石『文学評論』

     

     前回のつづきです。

     「国語」とは「文学(literature)」ではなく、「日本語(Japanese)」であって、「理性」を用いて「日本語理解力」を養う科目であることを確認しました。

     一方で、「国語」を「文学」と考え、「感性」によって「行間を読む」ことを重視する人たちがいますが、こうした「理性」を軽視する考え方をする人たちのことを「反知性主義」と言います。

     作家で同志社大学神学部客員教授の佐藤優さんによれば、「反知性主義」とは「実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」のことを言います。

     

     さて、当たり前のことですが、(「国語」で出題される文章の)「行間」は書いた作家にしかわかりません。「行間」を読むなどという行為は、わかったフリをしているだけであって、それは学術ではなく、まったくのデタラメに過ぎません(だから、これは「反知性主義」と呼ばれるのです)。

     

     「行間」を読むことを信奉している人は「行間」を読んでいるのではなく、作家の意図を無視して、「自分勝手に」文章を理解しているだけです。

     作家がその言葉にどのような意味を持たせたのか?、それは国語の問題という約束事の範囲の中では理解することができますが、「行間」のような、それを超えたものを理解することは絶対にできません(もし「行間」を読めるという人がいたら、ぜひこの拙文の「行間」を言い当ててみてください)。

     

     例えば、明治学院中の国語の問題(の一部)を見てみましょう。

     

    自分が経営者となって成功してから考えると、結核による「道草」は、無駄ではなかったのである。無駄どころか、それはむしろ(A)なものとさえ思われる。そのときに経験したことが、今になって生きてくるのである。(河合隼雄『こころの処方箋』)

     

     さて、もしこの一節しか本文がないとして、「筆者の言う「道草」とは何か?」という問題が出題されたら、何と答えれば良いでしょうか?

     この問題に答えることができる人は世界中探してもどこにもいないでしょう(もちろん上記の文章を読んだことがある人は別ですが)。そもそもこの問題は、国語の問題として絶対に成立しません。なぜなら、本文に「道草」の内容を説明した箇所(明確な根拠)がないからです。

     なので、実際の問題は「空欄(A)に入る最も適切なものはどれか。次のア~エから選び記号を書きなさい」のようになります。

     ちなみに、答えの選択肢は「ア 主要、イ 無意味、ウ 空虚、エ 有用」になります。

     

     この問題の考え方ですが、まず「無駄どころか、それはむしろ(A)なものとさえ思われる」と書いてあるところから、「無駄」の反対の意味の言葉(プラスの意味の言葉)が入るとわかります。「イ 無意味」と「ウ 空虚」は意味が逆(マイナスの意味の言葉)なので、(A)に当てはまりません。

     さらに、空欄の後で「そのときに経験したことが、今になって生きてくる」とあるので、「今になって生きてくる」という意味に近い選択肢を見ていくと、「エ 有用」になるとわかると思います。

     もちろん、そもそも「有用」という言葉の意味や「Aどころか、むしろBである」という文法的意味、この両方がわからなければ、正解を導き出すことは難しいことは言うまでもありません。

     こうした国語の問題一つとってみても、「国語力」(日本語理解力)とは、「語彙力(単語力)」と「言語運用能力(文法力)」が基盤になっていて、国語の問題ではそれが問われているのだということがわかりますね。

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